おんなやもめに花咲かず

セツヤクエストに超出遅れた日記

『熱意』や『努力』とか意味がわからない

オマエからは熱意が感じられない。
オマエは努力しているように見えない。


とよく言われます。
その度に、そもそもそれってなんなの? って思っちゃう。

熱意とか努力以前の話、やらなきゃいけないことはやらなきゃいけないし、できないことはできない。

いくら「やります!」とか「努力します!」って言ったところで、それは「できるかどうか」とは別問題でしょ?

それでも、(少なくとも観測できる範囲の)世の中は、その熱意だとか努力だとかゆーものが重視される、みたいだなーっていうのに気付きました。


例えば、最近あった話だと、いくつかの条件が提示されていて、じゃーその結果AはできなさそうだからBを選ぶしかないねってあたしが相手に言ったら、相手が「いやいやそれはおかしいでしょ、なんでそうなるの!」ってことがあった。

相手としては『いくつかの条件』の中に、あたし次第で譲歩できるところがあったらしいから、『どうしてもAがやりたいなら条件の交渉があるだろう』って思っていたらしいのね。

でも、あたしとしては「でもあなたが提示した条件はコレでしょ? だったらその条件に沿って選択できるのってBでしょ? なにも間違ってないじゃない?」っていう考え方だったのね。そしたら相手が「だからそういうことじゃなくって!」ってなってかみ合っていない会話を延々続ける羽目になっちゃった。


その中で一番理解できないのがコレ。
「どうしてもAがいいならなんでやってみせますって熱意を見せない訳?」

いや、熱意って言われても、現時点であたしにはできないんだから「××の条件はできるともできないともあたしには約束できません。よってAが選べないためBを選びます」っていう答えしか出ない。

そうすると相手が、「いやいやなんでわからないの」ってなる。

相手「本当はAがいいんでしょ?」
あたし「そうだね」
相手「じゃあなんでAを選びたいんですけどって言わないの?」
あたし「? 提示された条件がコレなので、それはあたしにはできないかも知れないからBしか選べないよね?」
相手「いやいやいやだから、なんでかも知れないって言うの。ていうかAを選びたいならなんでそう言わないの?」
あたし「だから提示された条件がコレなので、それはあたしにはできないかも知れないからBしか選べないでしょ? ってさっきから言ってるけど」
相手「やりたいならどうにかしてそうしようとかない訳?」
あたし「条件がコレなら、あたしにはできないかも知れないから結局Bしか選べないでしょ? どうにかするとかそういう約束はできないから」
相手「なんで『やってみせます!』とかそういう熱意を出さない訳!?」
あたし「熱意と『できる』って違うでしょ? そんな空約束してできなかったらあなたも困るでしょ?」
相手「できないかもじゃない、やるんだよ! そう約束するんだよ! なんでわからないの!?」


未だに「はぁ?」ってなるよくわからない理論なんだけれども、ヨノナカではそういうのが重視される、らしい。

できないかもじゃない、やるんだよ! っていうのが一番わからないし理解できない。
最初からできないって言ってたらそうなるよっていうのもよくわからない。

現時点でできない可能性が高いから『できないかも知れないから約束できない』って言ってるのに、世間ではそこを『やってみせます』というのが熱意と呼ばれてとても重要視される、らしい。

んで、できなくても「努力はしましたが……」っていうのが一定の評価を得るらしい、ね。


あたしとしては、「やってみせます」も「努力」も意味がないと思ってる。結局できるかできないかでしょ、と。

もちろん、その時点でできるかできないかわからないけど、引き受けなくちゃならないこともあるっていうのは承知してるんだけども。
その場合、「やってみせます!」って叫ぶだけじゃなくて「これこれこういう風にすればこんな形でできそうです」っていうところまで示せないと「やります」とは言えない。

それさえできそうになければ、「できません」とすっぱり断って相手が次に行くのを早くさせてあげるか、「できるかお約束できませんが、いついつまではやってみます」ときちんと言っておくのが誠意だと思ってるんだけどね……。


やっぱり、あたしには『熱意』とか『努力』とかよくわかんないな。